樹木葬 建仁寺塔頭 両足院

令和6年8月23日(金)より
山桜区画第1期案内を開始いたします!!

建仁寺両足院の緑雲苑は力強く生き続ける一本の大きな欅と、青々と美しく育った常緑樹に囲まれています。四季が溢れる大地で豊かに眠りにつく。それが両足院の樹木葬。訪れるたびに、季節移ろいを感じる優しくも美しいお墓です。

祇園の中心に位置し、
京都の文化を育んできた
建仁寺塔頭「両足院」。

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し、臨済宗開祖栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。文永2年(1265年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。

春夏秋冬。季節が変わるたびに、
訪れたくなるうつくしい庭園です。

両足院は、建仁寺の開山・明庵栄西禅師の法脈・黄龍派を受け継ぐ龍山徳見禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。知足院は、龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは、徳見禅師の法脈を継ぐ当院3世文林寿郁の両足院・一庵一麟の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。

創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。京都の中でももっとも風情ある街並みを残した「京都祇園」からすぐの立地となっておりますので、大切な人にいつでも逢いに来ていただけます。

壮大な欅の緑陰、
美しいタマリュウの下に眠る樹木葬。

樹木葬地は、「緑雲苑」と呼ばれています。欅の木と常緑樹に囲まれた、美しく、静かな場所です。利用者は、それぞれの区画に埋葬されます。多くの方々のお墓が集まるため、集合墓でもあります。

緑雲苑は、落ち着いた敷石と常緑樹に囲まれ、中心には大銀杏 足元に墓碑が佇む閑静な樹木葬地です。また、西側には大きな欅の枝が大銀杏とともに涼しい緑陰をつくっています。備え付けのベンチでゆっくり故人を偲んでいただけます。ご遺骨は、季節感のある生垣に囲まれた美しいタマリュウの地下深く埋葬され静かに眠ります。

両足院の由緒正しき教義に則り、
永代供養をいたします。

ご遺骨は、晒し木綿に包み自然に還る方法で納骨され、そのまま土へと還ります。没後33回忌まで毎年、春と紅葉の時期に両足院が臨済宗の教義に則り、合同供養をいたします。33回忌以降は、土となったご遺骨の一部を両足院内の総墓へ遷座(合祀)し供養をつづけます。永代供養ですので、無縁になるご心配はありません。

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終の棲家は日本の心のふるさと京都の、
伝統と変革を織りなす街「祇園」で。

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徒歩7
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徒歩10
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お申し込みの流れ

使用料・期間について

1区画の使用料は1人利用70万円、2人利用90万円。
(1区画:20cm×20cm(正方形)、2人利用は上下にて埋葬)
※ご遺骨は自然に還る方法で埋葬します。

ご希望の方は墓碑にお名前と埋葬区画を刻むことができます。
※彫刻手数料 15,000円 が必要となります。

使用期間は、最後に納骨された方が33回忌を迎えるまでとなります。33回忌以降は、土となったご遺骨の一部を両足院内の総墓へ遷座(合葬)し、引き続きご供養します。

緑雲会について

両足院樹木葬を縁に集う人を対象として、両足院樹木葬地が美しく保たれ、合同法要祭を通し、両足院と会員相互の交流を行う会です。

【事業内容】
両足院樹木葬地の環境保全
年2回(春・秋)の合同法要祭の実施
両足院樹木葬会報や行事情報の提供

【会費】
年会費として5,000円

【会員特典】
①お参りの時、両足院施設(水・バケツ・箒等の道具)の利用可。
②合同法要祭へ参加できます。
③両足院住職へ年忌法要などを依頼できます。

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